シニフィアンとシニフィエ――言語論的転回への準備体操
目次
ソシュールの影響力
近代言語学はフェルディナン・ド・ソシュールからはじまった.そして,この言語学は思想・哲学の世界を一変させた,ということになっている.コセリウなどソシュールに批判的な言語学者にかかれば,否定されること請け合いだろうが,その手の話はまた別のところでしたい.とりあえず,ソシュールの言語学が絶大な影響をおよぼしたとして.
いったいなにが起こったのか?まず,ソシュールの出現以前の言語観についてみていく.
言語名称目録観,それは一般的な見方
たとえば,四つ足であるきワンワン吠えるあの「イヌ」が存在しており,われわれはそれを「犬」とラベリングしていると考えている.このように,それぞれの事物・存在にラベルが貼られているように言葉が成立しているという考え方を,言語名称目録観(図1)という.
これは,どちらかといえば今でも一般のひとびとに受け入れやすいだろう.しかし,ソシュールはこの考え方に反駁する.
「イヌ」はべつに「犬」じゃなくてもいいんじゃないですか?と.
シニフィアンとシニフィエ
まあ言われてみればそのとおりである.英語では”dog”だし,フランス語では”chien”で,日本語だからたまたま「犬」とよんでいるにすぎない.
だから,「イヌ」という概念に対して,言葉はなんでもよいということになり,これを言語記号の恣意性とよんだのだった1)実はここにも大変な議論が存在し,バンヴェニストらを持ちだす必要がある.しかしそれはあまりに膨大になるので,ひとまず一般的な解釈を述べるに留めたい.が,せっかくなので批判者の意見を大雑把に言えば,上記のたとえであれば,外国の人間にとって恣意性はあるにしても,母語が同じもの同士であれば必然の関係になっている,というものが挙げられる.
そして,これまで四つ足のかわいらしい生き物として「イヌ」が登場したが,こうした言語のさす意味や概念をシニフィエ,/inu/のような音や図形などをシニフィアンとよび,これらが記号,シーニュ(sign)を構成している(図2)と考えた2)ここでもソシュールに難癖がつく.たとえばロマン・ヤコブソンは,シニフィアンやシニフィエの概念は,「2300年前のストア派の理論を全面的に引き継いだものだった」とし,ソシュールの独自性を否定している..
そして,言語論的転回へ
さて,これのどこが言語論的転回とつながるのか.あるいは,衝撃的だったのか.おおきく2つ考えられる.
まず1つ目に,ソシュール以前の哲学の限界を,言語をもちいて打開しようとしたことだ.これまでの西洋哲学は,主観から眺める世界把握の限界という隘路にはまりこんでいた.「結局自分のことしか確かなことはないよね」,「自分以外のことなんて認識できないよね」というわけだ.そこから,ひろくひとびとに理解される言語をとおして,言語の分析をとおして,あらたな地平を拓こうとする試みが言語論的転回だったわけである.
2つ目には,言語名称目録観の世界において,言語と世界は一致していたわけだから,そこが否定されるとなると,言語と世界の不一致がありうるということになり,世界の認識の仕方が根本的に変わる可能性があることだ.あのかわいらしい生き物の概念と,「犬」が結びつかない可能性,そして何より,言葉が違うことで概念が変わる可能性を考慮することになるのである.これが後に言語相対仮説へと繋がっていくわけだ.
引用・参考・おすすめ文献
- フェルディナン・ド・ソシュール(町田健訳):新訳 ソシュール一般言語学講義.研究社,東京,2018
- 佐久間淳一,加藤重広,町田健:言語学入門.研究社,東京,2006
- 丸山圭三郎:言葉とは何か.ちくま学芸文庫,東京,2010
- 丸山圭三郎:ソシュールを読む.講談社学術文庫,東京,2012
- エミール・バンヴェニスト(岸本通夫監修,訳,河村正夫訳,その他):一般言語学の諸問題.みすず書房,東京,2015
- ロマン・ヤコブソン(桑野隆・朝妻恵里子編訳):ヤコブソン・セレクション.平凡社,東京,2015
脚注
1. | ^ | 実はここにも大変な議論が存在し,バンヴェニストらを持ちだす必要がある.しかしそれはあまりに膨大になるので,ひとまず一般的な解釈を述べるに留めたい.が,せっかくなので批判者の意見を大雑把に言えば,上記のたとえであれば,外国の人間にとって恣意性はあるにしても,母語が同じもの同士であれば必然の関係になっている,というものが挙げられる |
2. | ^ | ここでもソシュールに難癖がつく.たとえばロマン・ヤコブソンは,シニフィアンやシニフィエの概念は,「2300年前のストア派の理論を全面的に引き継いだものだった」とし,ソシュールの独自性を否定している. |