失語症理解の歴史――局在論
目次
ニセ科学か,科学発展の礎か――骨相学
近代の神経心理学は,1800年初頭,ウィーンの医師フランツ・ヨーゼフ・ガル(図1)からはじまる.彼は,人間のさまざまな精神活動は,脳のある部分と密接に関係しているとして,頭蓋骨を触診することで人の能力を言い当てることができると主張した.これをガル自身は「器官学」とよび,のちにイギリスでガルの説をひろめたトーマス・フォースターは「骨相学」とよんだ.
もちろん,こうした考え方が「ニセ科学」であることは今となってはあきらかだが,当時は大流行したという.わざわざ宮廷に骨相学者を招き,王侯が自分の頭をさわらせて才能を褒めそやされ,悦に入ることもあったというはなしもある.
とはいえ,ガルの主張は,後に展開される脳の局在論のはしりであったともいえる.局在論とは,脳の特定の部位が特定の機能を担っているという考え方で,もちろん頭蓋骨のかたちは関係ないが,科学の発達とともに有力な考え方とされてきた.
ブローカの症例「タン氏」
1861年,フランスの医師ピエール・ポール・ブローカは,21年間も言語障害と麻痺がありながら,理解力は保たれているルボルニュ1)彼は若いときからてんかん発作をもっていた.31歳までは靴型製造職人として働いていたが,そのころに言葉をなくしたという.ブローカと会ったのは,彼が右下肢全体の蜂窩織炎で運び込まれたためだった.という患者と出会う.彼は「タン」という一語のみ発話が可能だったので,「タン」とあだ名されていた.
ルボルニュは,その後間もなく死亡したため,ブローカは彼の剖検をおこなった.すると,左半球の下前頭回脚部に損傷を認めた.のちにいうブローカ野である.ブローカはここに,構音言語能力の座があると論じ,それによる言語障害を「アフェミア」と名付けた.ちなみに,ルボルニュが「タン」としか発話できなかったのは,今でいう「再帰性発話」だと考えられ,重度ブローカ失語や全失語によくみられる症状である.
ブローカはその後も症例を報告し,発話に関する脳機能の局在の証拠を提示しつづけた.これにより,局在論は勢いを増すことになる.
弱冠26歳のウェルニッケが発表した学説からはじまった連合論
1874年,カール・ウェルニッケは26歳にして,失語にかんする新たな学説を発表した.
まずウェルニッケは,ブローカの報告とは異なる失語型を報告した.また,言語に関する中枢として,言語の運動表象の中枢としてブローカ野を,言語の音響心像の中枢として側頭葉の上側頭回(ウェルニッケ野)を想定した.ウェルニッケが報告したのはこのウェルニッケ野に損傷があった症例である.
前者の損傷で発話表出を中心とするブローカ失語が起き,後者の損傷で理解障害と錯語を中心とするウェルニッケ失語が起こると説いた.さらに,このふたつの中枢をむすぶ線維の損傷によって,復唱障害と錯語を中心とする伝導失語が起きると考えた.
1885年には,ルートヴィヒ・リヒトハイムはウェルニッケの考えを発展させた説を発表する.ウェルニッケが想定したふたつの言語中枢に「概念中枢」というものを加えたのだ.失語症は,これらの中枢の損傷や,中枢間の障害による7つのタイプに分類できるとした.この図式はウェルニッケ―リヒトハイムの図式(図2)と呼ばれる.
こうしたウェルニッケらの学説は,連合主義ともいわれ,失語症の古典論の基礎となった.
反連合主義の旗手マリー
1906年,ピエール・マリーがおどろきの説を発表する.
マリーはもともと,ブローカのところにインターンにきていた.そのマリーが,「失語はひとつである」とし,その本質はウェルニッケ失語だというのだ.ブローカ失語はウェルニッケ失語に「失構音」2)意味としては発音に障害がでることだが,麻痺によるものではない.ダーレーは「発話運動のプログラミング」の障害とし,「発語失行」と呼んだ.しかし,この用語や症状にかんしても議論が複数あり,今後改めて述べたい.とりあえず拙稿では,マリーの記す”anarthrie”の訳語として失構音を採用している.が加わっただけだと.
病変についても,レンズ核領域の前後にA線とB線を引き(図3),A線より前方では失語も失構音も生じず,AB間(言語方形あるいはマリーの方形)で失構音が,B線より後方でウェルニッケ失語が生じるとした3)岩田によると,このマリーの図は誤りであり,ブローカ野がすっぽり抜け落ちているという.
したがって,マリーに言わせるならば,「ブローカ野は言語機能になんら特別な機能を有していない」ということになる.
これだけでもセンセーショナルな説だが,それ以上に,彼は,連合主義の考えにも以下のように反駁していく.
様々な失語症を有する患者に理解テストをすると,理解障害がまったくみられない例はない.しかしそれは連合主義的な立場からみればおかしいはずである.なぜといって,ウェルニッケ―リヒトハイム図式のように,表出と理解の中枢が分離しているのであれば,理解障害がまったくない失語もあるはずだからだ.したがって,連合主義の図式は成り立たっていない.
このマリーの説によって,失語症研究の中心地パリに,激震がはしった.
マリーとの大論争を演じたデジェリン
マリーの説には当然反発があり,大論争に発展した.マリーと相対していたのは,ジェール・デジェリンである.
デジェリンは,失読失書の症例と純粋失読の症例を報告した.前者は,「読む」と「書く」に特異的に障害が生じ,発話や聴覚的理解には障害が及ばない.後者は「読む」ことに特異的に障害が生じるものだ.これらの症例から,ブローカ野の存在と機能的な役割は認められるとした.
また,デジェリンは,ブローカ野,ウェルニッケ野に並び,視覚言語中枢(書字言語の中枢)として角回を想定した.先程書いた「純粋失読」などの純粋症候群は様々にあり,また大変入り組んでいるので,今後別に述べていきたい.
さて,マリーとデジェリンの論争は,今に至るまで完全な解決をみたわけではない.たとえば,たしかにマリーのいうように,ブローカ野に限局した病変を有する患者にはブローカ失語はみられず,軽い失語しか起こらないという症例がいくつもあるのだ.
そして徹底的局在論へ
マリーとデジェリンの論争のあと,失語症研究の世界は大きく二分された.ひとつは反局在論の立場をとる「全体論」であり,もうひとつは局在論をさらにおしすすめた徹底的局在論とでも呼ぶべき一派である.全体論についてはまた別に述べる.
スウェーデンのサロモン・エバーハルト・ヘンシェンは徹底的局在論の代表といえる.彼は,1918年両側側頭葉病巣例の剖検報告をし、聴覚中枢を確認する.視覚機能の局在を研究したことでも有名である.ヘンシェンは徹底的局在論者として,「単一の観念,単一の記憶が,単一の神経細胞に局在する」(波多野)とまで述べたという.
1934年には有名な大著『大脳病理学』が出版される.第一次世界大戦で脳に損傷を負った人びとの膨大な研究をまとめたこの著者は,ドイツの神経科医のカール・クライストだった.クライストはウェルニッケの学生でもあった.彼は図4のように詳細に局在を想定し,ブローカ野のなかにさえ「語の形成」(44a)や「名辞発話」(44b),「文の発話」(45a)を置いた.
現在につながる局在論
ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールドは,てんかんの外科治療の先駆者で,患者に局所麻酔を施し,覚醒下で大脳皮質を刺激することで,脳の機能局在を同定していった.このことが,1950年に発表されたホムンクルス(図5)につながる.これは,一次運動野と一次体性感覚野の場所を特定し,図式化したもので,こんにちでは漫画などでの題材としても使われているのでご存知のかたも多いだろう.
1960年代からはCT,1980年代からはMRI,1990年代からはfMRIやPETなど脳機能イメージングが進歩し,脳の活動をリアルタイムで測定できるようになってきている.ただし,脳内の神経細胞をひとつひとつくまなく観察し,解析することはいまだ困難ではある.
引用・参考・おすすめ文献
- 石川裕治,波多野和夫,種村純ほか:失語症(言語聴覚療法シリーズ),建帛社.2005.
- 波多野和夫,道関京子,中村光,横張琴子:言語聴覚士のための失語症学.医歯薬出版株式会社,2007.
- 萬年甫:失語症研究事始め.音声言語医学,22:15-21,1981.
- 岩田誠:Dejerine夫妻とPierre Marie~偉大な神経学者たちの大間違い~.神経心理学,35:20-26,2019.
脚注
1. | ^ | 彼は若いときからてんかん発作をもっていた.31歳までは靴型製造職人として働いていたが,そのころに言葉をなくしたという.ブローカと会ったのは,彼が右下肢全体の蜂窩織炎で運び込まれたためだった. |
2. | ^ | 意味としては発音に障害がでることだが,麻痺によるものではない.ダーレーは「発話運動のプログラミング」の障害とし,「発語失行」と呼んだ.しかし,この用語や症状にかんしても議論が複数あり,今後改めて述べたい.とりあえず拙稿では,マリーの記す”anarthrie”の訳語として失構音を採用している. |
3. | ^ | 岩田によると,このマリーの図は誤りであり,ブローカ野がすっぽり抜け落ちているという |