言語は思考に影響するのか?――サピア・ウォーフ仮説

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コトバをめぐる俗説と問題提起

愛国的なかたがたや日本語に対して愛着をもつひとびとがよく話題にすること,もしくは,雑学的な扱いで,このような話が取り沙汰されることがある.

  1. 「コレコレの理由で日本語は優れている」
  2. 「日本語を話す日本人はコノヨウナ思考をしやすい」

前者も後者も,ナショナリズムや政治的な関心事に回収されやすい言説だが,ひとまずそれは措いておこう.こここで問題としたいのは,その根拠は何かということだ.

前者は,言語による優劣を論じているが,理知的な人はわりに否定されるだろう.「言葉に優劣なんてない,みんな平等だ」と.この反応は正当であって,言語学的にはどの言語も平等である.しかし,社会学的には微妙な問題なのだ.例えば,特定の研究分野が特定の言語(例えば英語)で多く論文が書かれていたり,出版されていたりすると,やはり特定の言語が優位ということになりやすい.したがって,何を前提とした発言かを見極める必要がある.

いっぽう後者は,先程のような理路整然とした整理がなかなか難しい.というのは,ご想像のとおり,言語が思考に影響を及ぼすという説は,相当根深い議論と研究が積まれているからである.

言語相対仮説

言語が思考に影響する.このような仮説を「言語相対仮説」,あるいは,この理論を提唱した研究者の名をとって,「サピア・ウォーフ仮説」と呼ばれることが多い.実際はさらに昔から,そこかしこで言及されていたはなしではあったが,とくにB・L・ウォーフが,いくつものアメリカ先住民の言語を研究し結論づけたこの仮説は,これまでにおおくの議論をよんだ.ウォーフはこのように述べる.

われわれは,生まれつき身につけた言語の規定する線にそって自然を分割する.(中略)そういうことができるのは,それをかくかくの仕方で体系化しようという合意にわれわれも関与しているからというのが主な理由であり,その合意はわれわれの言語社会全体で行われ,われわれの言語のパターンとしてコード化されているのである.もちろん,この合意は暗黙のもので明文化などはされていない.しかしここに含まれている規定は絶対的に服従を要求するのである

B・L・ウォーフ著,池上嘉彦訳『言語・思考・現実』(講談社学術文庫)

ウォーフが言いたいことはひとつである.われわれは言語によって世界を分割している,ということだ.

ウォーフの主張

それでは,ウォーフの議論を確かめるため,『言語・思考・現実』をまとめつつ確認してみよう.

  • ホーピ族には,われわれの「時間」に相当する言葉がない(「アメリカ・インディアンの宇宙像」)
    • 時間などの概念が普遍的であるという根拠はない
  • 言語により,言語的性の有無などの存在に違いがある(「原始共同体における思考の言語学的な考察」)
    • 特定の言語が,型の上で何らかの優秀性を示しているというのは無意味だ
  • 言語はその構造により2つの心理の型に分類できるとしたジェイムズ・バーンの説への親近感の表明(同上)
    • しかしウォーフは,バーンのデータが不完全で「信じるに足りない」としている
  • 「『現実の世界』というものは,多くの程度にまで,その集団の言語習慣上に無意識的に形づくられている」というサピアの言葉を引用した後,ウォーフがかつて従事していた火災保険会社の例を出す.
    • ウォーフは,火災や爆発の報告を分析していた.そこで彼は,発火の原因がたんに物理的な要因によるものだけではなく,言葉の意味によって左右されることも指摘している(習慣的な思および行動と言語の関係).
      • 例:ふつう,「ガソリン缶」と呼ばれているものの貯蔵所の近くでは,ある特定の型の行動がとられる.つまり,十分な注意が払われる.これに対し,「空のガソリン缶」と呼ばれるものの貯蔵所の近くでは,行動が違ってくる.つまり,喫煙を差し控えることもほとんど行われないし,煙草の吸いがらを投げすてたりして不注意なのである.にもかかわらず,「空の」缶こそおそらく一番危険なものである.なぜなら,起爆性の気体を含んでいるから.

ウォーフの主張のまとめのまとめ

ウォーフの主張の妥当性については今は述べない.いずれ,この大論争を紹介するときがくるだろう.

それよりも,ウォーフが想定していた言語相対仮説,あるいはサピア・ウォーフの仮説を把握しておきたい.おおきく2点ある.

まず,彼は,言語に相対性を見出している.つまり,冒頭のたとえばなしのように,言語による優劣を論じることは無意味であって,それどころか有害であり,それぞれの言語を相対的に同一のレベルでとらえるからこそ人類愛や兄弟愛を見いだせるのだと考えている.もしヨーロッパの諸言語が,他の言語よりも優れているとみなせば,畢竟,植民地支配や奴隷制を生んだ差別や偏見が待ち受けているに違いない(そして事実,植民地とされた国では,宗主国の言語が強制されてきた.インド,インドシナ,インドネシア,エトセトラ,であるが,むろん日本に統治された朝鮮や台湾も同様である).

そして次に,そうした言語の違いはそれぞれの文化や概念の違いに結びついており,言語の違いによって思考が,そして思考の結果としての行動に影響を与えるという主張だ.

ここで注意を促したい.サピア・ウォーフ仮説は,大抵後者のほうが大きく取り上げられる.つまり,言語は思考に影響するという考えで,冒頭にも触れた話である.むろん間違いではないが,前者の言語の相対性にも留意が必要だ.なぜといって,別に述べるだろうチョムスキーらがウォーフを批判する時の論点として,まずこの前者が取り沙汰されるからだ.

それもそうである.普遍文法というチョムスキーの考え方は,言葉どおり普遍性を志向しているのに対し,ウォーフは正反対の相対性を主張しているのだから.

Jun Nishimura

言語聴覚士(ST)をしています.STに関する資格としては,認定言語聴覚士(失語・高次脳機能障害領域)やLSVT LOUD認定療法士,福祉住環境コーディネーター2級などありますが,基本的に本や音楽,映画や自然が好きな鑑賞家です.